従来、当事者相互の決意・合意・一味団結を神仏に誓約する中世の起請文に対して、奈良・平安時代の起請については、発議・禁制などとされ、中世の起請文とは異質なものと理解されてきた。藤原実資の日記『小右記』に散見する「起請」の記事を検討すると、公卿(右大臣・大中納言)・右近衛大将として実資が関わった摂関期宮延社会の起請は、(1)近衛府起請、(2)殿上起請、(3)公卿起請、の三つに分類できる。(1)は儀式での精勤を求める天皇の譴責に対して、近衛大将が勤務内規と賞罰を定め、近衛府官人・舎人全員で遵守誓約するものであり、(2)は天皇に日常的に奉仕する場である殿上における風紀・勤務状況について、やはり天皇の意向や要求・譴責を受けて、摂関が内規と罰則を定め、殿上人全体でその遵守を誓約するものであり、(3)はとくに受領の昇進・遷任(次の受領のポスト)を左右する成績判定を行う受領功過程において、財政監査上の重点チェック項目(たとえば賀茂斉院禊祭科の完済証明を受けているかどうか)について、絶対見逃さないことをいうことを、受領功過程に参加する公卿全員が遵守誓約するものである。いずれの起請も、自分たちで制定した内部規律を当事者自らが遵守することを誓約するものであることが明らかになった。また「起請宣旨」「起請官符」として布告されるから、起請そのものが「官旨」「官符」と受け取られることになるが、それは起請にもとづく宣旨官符なのであって、起請=官符宣旨なのではない。起請とは、あくまでもその内規なり合意事項の遵守を誓約することであった。このような摂関期の起請の考察をとおして、摂関期の法=規範形成のありかたに新知見を提示し、とくに「公卿起請」には、受領人事の公平性を確保しようとする公卿集団の自己規制機能があったことを明らかにした。
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