1、史料および文献の調査・収集〜2ヶ年度にわたる研究で、主として長崎県立対馬歴史民俗資料館所蔵の宗家文庫を対象に、対馬藩領鉱山に関わる史料調査を進めた。鉱山関係史料の大方は写真撮影によってマイクロフィルムに収めることができた。ただし、藩庁の日記などにも鉱山関係記事が散見され、これらについは、史料が膨大のため一部の収集に止まらざるをえなかった。また、当該テーマに関係する文献史料の収集を進めたが、これまでの先行研究がほとんどないことが確認できるともに、対馬藩の鉱山の特質を理解するため、対馬藩全体を理解する上で、朝鮮との対外関係、藩政史、地域史、産業史などについて文献を調査・収集した。また、鉱山跡の現地調査も実施し、史料に表れる鉱山名(間歩名)を地図等でその所在を確認した。 2、研究上の知見等の成果概要〜対馬藩領の鉱山は17世紀半ば頃に開発され、その第一は佐須銀鉛山であり、次いで佐護銀山・琴銀山等も開発された。佐須銀鉛山については、最盛期に4000〜5000人の人口を擁し、九州はじめ中国地方や上方から「かな子」等多くの労働力が移住・流入した。開発から20年後には人口も大きく減少し、18世紀前半には一たんは閉山し、その後は断続的に稼行された。またその他の中小鉱山も近世中期に再開発や新たな開発計画もあったが、地元の地域住民の反対もあり、一時期、部分的に稼行されたに止まる。本研究では、離島における近世鉱山の労働力の移動などで、九州や中国地方さらに上方からの海をわたった移動の特質、対馬藩の他領民の取扱いと領民の鉱山稼ぎの規制策等の鉱山労働力をめぐる諸問題を究明した。鉱山技術では鉛の鉄還元法の事例が注目できるが、製錬用炭生産が地域住民の食料源の樫木(実)伐採で利害を異にする点などのその導入の地域的背景にあり、対馬藩政と地域の特性との関わりから鉱山を考える視角の必要などで多くの知見を得ることができた。
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