本研究の開始にあたって設定した目的は、任解日録に基づく明治初期官僚制の人事データベースの作成とその補完作業とであった。すあんわち(1)作成をした人事データベースに基づくめ異字初期官僚制の人的研究と定量的研究。特に主要ポストの人的構成の変遷と政策との相関関係の有無、(2)勅任官および奏任官の出身藩唐人事構成要素と官僚機構の相関関係の分析等。こうした課題に答えるため、本研究では、「任解日録」を素材に明治初期官僚制人事データベースを作成し、その定量的分析によって、明治政府の人的構成の特徴を分析すること、(1)日本の近代化における官僚の果たした役割をその政策形成過程のさかのぼって分析すること、(2)特に明治政府の政権構築期における人事と政策決定は、政策形成過程に於けるルールが確立していなかったと考えられることから、人物と政策の関係が極めて密接であると想像されることの実証研究、(3)日本近代化課程における高度の統合性が、幕藩体制における前近代的=家産官僚制の連続性によって(特に中堅実務層に多くの幕府中堅官僚が参入することによって維持されたという仮説の正当性などの諸観点から分析を試みることが構想された。 今回の研究においては、人事データベースの作成に予想外に時間がかかり、以上の書店についての実証的・定量的分析は決して十分に行ったとは言えないが、かなりの程度において多くの成果を得た。特に地方政府の政策決定過程と官僚の配置関係については明治4年7月の廃藩置県の時点における中央政府の人事政策がかなりの程度旧幕官僚そうの任用に依存している可能性があることが、東北諸藩など反官軍地域における県庁首脳部の人事構成と親官軍地域における県庁首脳人事との比較によって書きらかになりつつある。(このことについては、「明治初期地方官人事における中間官僚層の人的構成」として、駿河台大学文化情報学部紀要「文化情報学」に投稿予定)。また中央政府の人事については、その政策決定過程が複雑であるため、三條実美、岩倉具視、大隈重信、大久保利通、山県有朋、伊藤博文といった明治政府のトップリーダーの個人文書の分析(特に彼らの文書に含まれる数多くの書簡類の分析を待つ必要があるが)、かなりの程度旧幕官僚層の寄与が大きいことは、明治初期官僚制の人事が中央政府の中核部分に旧幕官僚を配置していることからも想像される。この点については、さらに研究を継続し、実態を解明したい。
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