紀伊国鞆淵荘は、和歌山県粉河町に存在した荘園である。領家は鎌倉時代まで石清水八幡宮、その後は高野山金剛峰寺であったことが知られている。紀ノ川の支流である真国川の流域に開かれた狭小な耕地と広大な山野からなり、その中心にある鞆淵八幡神社には石清水八幡宮より送られた平安期の神輿(国宝)が今に伝えられている。学界では、この鞆淵八幡神社に伝存された古文書によって、中世の農民の姿が具体的に明らかにされた荘園として著明であるといえよう。しかし、従来そのような農民の活動がなされた場、すなわち荘園空間についてはほとんど明らかにされていなかった。今回の研究は、そのような荘園空間をできるだけ多角的に復原することを意図したものである。報告書の題名を『紀伊国鞆淵荘地域総合調査』としたのもこのような狙いによる。 報告書の資料編で示したように、今回の調査では、地域に残る文献資料について徹底した調査を行った。そのこと自体が、この種の調査の事例として今後大きな意味を持つと思われるが、特に「大善寺大般若経」が奈良末〜室町期の書風を伝える貴重な経巻群であり、また地域においてこの大般若経がどのように扱われて来たかを明らかにし得た点も研究の一成果であったといえよう。本編では、真国川の本流・支流の谷々を細かく区分して、調査結果をまとめたが、個別の井堰、用水池の灌漑状況などから十五世紀に作成された土地台帳である「歩付帳」にあらわされた状況を、高い精度で復原することができた。また、四〇〇〇分ノ一の図面「紀伊国鞆淵荘地域景観復原図」(五図葉)には、この調査の成果が集約的に示されている。 以上のように、近畿地方の山間地域に展開する荘園の復原調査として、貴重な事例を提供できたといえよう。
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