本研究は、私の当面の研究課題「幕末明治期の西洋学術の導入過程の研究」の一環として、西洋学術導入に大きな役割を果たした西周の「日記」を翻刻し、課題の一助とするものである。 「西周日記」は、慶応3年(1867)から明治27年(1894)までが現存している。それは、明治15年(1882)以降はほぼ連日記載されているのに対して、慶応3年から明治14年(1881)までは断片的なものが残されているに過ぎない。その空白部分を補うものとして、西の自伝といわれる「西家譜略」があるが、幕末以降についての事象には筆が及んでいない。そこで、「西周日記」の欠落部分を側面的に補う価値をもつものとして、西周夫人の「西升子日記」が極めて重要な意味をもつ。したがって、西周の全体像を理解するためには、「西周日記」と「西升子日記」をあわせて研究する必要がある。 既刊の『西周全集』では、「西周日記」は、明治20年以降の未刊行部分は公的活動から退いた時期の個人的な記録と評されて、朋治19年までしか収録されていない。しかしながら、元老院での民法講義をはじめ『元老院会議筆記』には表れてこない会議の様子や、持続してもたれている明六社の集まり、森鴎外に関することなど、西と西周辺の人々の動きが記載されており、非常に興味深い事実を知ることができる。また、「西升子日記」は、単に西の足跡を知る手懸かりとなるだけでなく、幕末明治期の数少ない女性の日記としても珠玉のもので、直接政治過程の論証に結びつく記述は少ないが、その周辺情報は極めて重要な内容を提供している。 本研究では、「西周日記」のうち、『西周全集』に収録されていない明治20年以降の翻刻を行なうことを第一の課題とし、ついで「西升子日記」を完全な形で翻刻する。日記原本の正確な解読を中心に、関連人物・団体の調査を行なうことも、本研究の目的である。
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