今年度は、考察年代を幕末期(天保15年(1844)〜安政2年(1855)に設定し、オランダ船持渡品の内、染織品が中心である本方荷物に焦点を絞り、オランダ側史料(送り状)と日本側史料(積荷目録)とを突き合わせ、彼我の用語を確定し、あわせて各品目の数量を一覧表で提示・検討した。(拙稿「幕末期における蘭船積荷物の基礎的研究-天保15年(1844)〜安政2年(1855)の本方荷物-」)今後はこの表にあらわれた品々がオランダ側の政治・経済状況と如何なる相関関係を示しているのかさらに詳細に追求していきたいと考えているが、嘉永2年(1849)に限っては既に拙稿「近世日本と国際的商品流通の展開-嘉永2年、長崎貿易における染色輸入-」(箭内健次編『国際社会の形成と近世日本』日本図書センター、平成10年)で考察をおこなっている。嘉永2年のオランダ船の染色輸入は、毛織物だけでなく、本来インド産である綿織物まで、ヨーロッパ産のものが日本に持ち渡られ、ベンガルを中心生産地とする絹織物の輸入は姿を消していた。このことより、19世紀前半の東インド圏におけるイギリスの勢力拡大、オランダの勢力縮小の反映として受けとめた。この拙稿で得た結論をもとに今年度考察した天保15年(1844)〜安政2年(1855)の染織輸入の流れを今後研究していくつもりである。また、国外の問題だけでなく、オランダ船持渡品が日本市場に入って後、どのような取引がされたのか、併せて今後考察をすすめていきたい。
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