研究概要 |
本年度は,継体段階の王統譜の復原研究,主には「イリヒコ」「イリヒメ」を名に有するものの系譜(1)と,丹波系・息長氏系系譜(2)の検討を行った. 1. 「イリヒコ」「イリヒメ」を有する人名全ての位置づけを再検討することにより,一定,本来の系譜の復原が可能となる.既に著書や論文で公表した復原系譜に再検討を加えながら,継体段階の「イリ」系譜の全体像を明らかにすることによって,4世紀以前の王統譜を検討する素材の明確化を意図した.加えて,その後の欽明〜敏達段階,「天皇記」段階での変改過程と変改の事情についても考察した.結論的には以下の通りである. 継体段階では,『古事記』『日本書紀』に見える「イリヒコ」「イリヒメ」は,崇神(ミマキイリヒコ)を最初とし,他は全て崇神の子孫に位置づけられる系譜が形成されていた.それは主には多氏に関わるかたちを取った系譜であった.和珥氏を中心と形成された欽明〜敏達段階の系譜では多氏系系譜の変改と関係して,「イリヒメ」が和珥氏系や蘇我氏系にも位置づけられる等の変改がなされ,蘇我氏主導の「天皇記」段階では,和珥氏系系譜の変改に伴って,「ヒコ」「ヒメ」のみを異にするものが同母兄弟姉妹とされるような改変が加えられた.(本年6月「『イリ』系譜についての再検討」と題して公表予定) 2. 『古事記』所載の三種の丹波系系譜と息長氏系系譜とを検討し,相互関係を考えた.前者は本来一つにまとまるもので,欽明〜敏達段階と「天皇記」段階とで『古事記』に伝えられるものになった.後者は前者と関わるものであり,丹波と息長氏どのつながりが密接であったことが,系譜上で,想定されることになった.
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