本年度は、昨年度以来の研究成果を雑誌論文として公表した。 1、前近代の中国では民事と刑事の区別が存在せず、今日のわれわれから見て民事事件に属する紛争であっても、罪責の軽重に応じて刑事罰が科せられていた。また、民事的な争いが刑事事件に発展するという事態もまた少なからず認められる。例えば周知のように、土地や財産、債務や婚姻を原因とする争いが、やがて当事者の自殺を招くという事態は頻繁に起こったが、これに対し、明律には「威逼人致死」という自殺誘起者を処罰する一条が設けられている。本条は明代以前には存在せず、自殺の誘起を刑事犯罪とすることは明代に始まるとこれまで理解されてきたのであるが、筆者はこれに疑問を呈し、南宋時代以降司法実務において、唐宋律の「恐迫人致死傷」条が自殺誘起者の罪責を追及する規定として運用されていたことを明らかにした。同時に、こうした運用の背景には、自殺の頻発と自殺を口実とした誣頼・図頼という風潮があったこと、さらに元朝ではこの規定が廃されて自殺の誘起を犯罪視しなかったことも明らかにした。 2、南宋代の判決集『名公書判清明集』は、宋代の司法実務や立法状況を知るに恰好の史料であるが、本年度はその中の巻6 戸婚門を訳出し注釈を加えた。戸婚門はまさしく今日のわれわれの言う民事に相当するものであるが、この中には従来知られていなかった契約のクーリングオフに関する規定がある。すなわち、南宋代には契約から60日未満であれば契約を解除ないしは変更でき、60日を過ぎれば契約は確定すると定められていたのであった。これは訳注作業における新たな発見である。
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