研究計画に基づき、初年度は魏晋南北朝時代の公文書の種類と機能の整理のための諸種史料の調査、収集に務めた。 具体的には、研究補助を利用し、正史など諸種文献から、公文書を表示するとおもわれる用語、すなわち表・奏・啓・辞・刺・関等の語を抜粋し、分類整理してカード化するとともに、出土文書・墓誌銘等についても、公文書関係の文章の調査・整理を行った。 以上の作業に続いて、一部文書についての分析を行った。特に公文書「啓」について集中的に分析を行い、おおむね以下のような結論を得た。 「啓」は漢以前には見えない文書であり、その出現については従来あまり明確ではなかったが、今回の調査と分析によれば、それは後漢末の混乱期に、権力を掌握した実権者に対する上言の文書として用いられはじめたことがほぼ確認された。皇帝に対する表・奏の代替であったと考えられる。 「啓」は魏においては、そのような性格をおおむね緒持していたと思われるが、西晋になると、臣下から皇帝への私的、または内密の上言、特に人事における皇帝の意向の伺候や、皇帝への提言にそれが用いられる場合が多くなる。 東晋時代になると、「啓」は私的な場面に止まらず、公的な政治機構の中で公式の機能を果たすようになる。特に皇帝の命令である詔に対する門下諸官の反駁、あるいは尚書諸官の異議が多くこれによることになる。このような現象は、東晋における政治機構の変化、特に門下・中書系諸官の機能の拡大と対応するものと理解できる。 以上の成果については、現在公表の準備を行っている。
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