今年度も「使闕」すなわち官職の公募について考察した結果、その解釈をやや修正しなければならないことが判明した。昨年度は使闕の開始時期について、任命後、半年から10か月ほどと考えたが、今日の常識からすれば、公募は現任官の退職の時期を基準とする。そのような事例が北宋にやはりあったのである。「去替」という言葉は、単に「官職の交替」と云うほどの意味を漠然と示すにすぎず、時に任命の意味になり、時に退職にもなるのである。冗官が大きな問題となっていない北宋前半では、交替の時期を早めなければならないことがなかったから、退職の時期に関係させて「去替」なる言葉は使われていた。ところが北宋後半から南宋にかけて官僚の回転を早めなければならなくなり、昨年述べたように、任命早々の意味をもたせて「去替半年或いは一年」なる表現が用いられることになったのである。以上修正しておきたい。今年度は宋史選挙志保任奏辟の訳注を分担し、併せて『宋史選挙志訳注』3巻を完成させた。特に2・3巻の索引を3巻末に付けることができたのは当研究費補助に拠ることができたからである。李綱の役割については、奏辟の訳注のなかで述べたが、その研究は未だに十分ではなく、今後も調査を継続していくつもりである。また昨年同様、清末の地誌『光緒順天府志』の諸版本を調査した。来年度中に、清末の北京図についての調査結果を公表するつもりである。
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