古くから「南船北馬」と呼称されるように、長江以南の地域では水運が日常生活にとって欠くことのできない極めて重要な交通手段であった。これら江南デルタに点在した市鎮は生糸生産、絹織物業、綿織物業などにおいて独自の生業を有し発展し、相互に水路網で連携して経済発展を遂げてきたのである。これらの地域において清代の民衆が極めて重要な交通手段であった水運を日々どのように具体的に利用していたかを明らかにする方法として、江南運河や水路航行中や停船中等の際に盗賊の被害に遭遇したことを伝える清代の档案史料に着目した。そして、この档案史料の分析により、江南・江北水郷域において、公用であり私用において多方面の用途に船舶が利用されていた。船舶は交通手段であり、輸送手段であり、通信手段等でもあった。公用に際しては公金の輸送、公的物資を積載して関係機関への輸送手段として、または官吏の移動における交通手段としても使用された。私用面では民間の人々による物資の大量輸送、もしくは少量であっても物資の輸送手段として、また各地への移動のための交通手段としての旅客輸送の面においても、さらには私信を伝達する通信手段の一翼をも担っていた。江南・江北水郷域において多方面の用途のために船舶が利用されていたことが知られる。公用であり私用においても様々な形態で船舶が利用されていた。船舶は交通手段であり、輸送手段であり、通信手段等でもあった。この地域で利用された代表的な船は航船である。航船は江南・江北水郷域での乗合船として普遍的に利用された船舶であり、旅客だけでなく郵便業務の代行も行っている。航船は定期的に特定の地域を往来していたので班船とも呼称された。これら船舶の速度は、蘇州・上海間約100kmに四〜五日を要し、決して速いものではなかったが、多くの人々や大量の物資の輸送に大いに貢献したのであった。
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