元朝は、モンゴルによって中国が支配された時代である。そのため、中華の伝統文明、とくに知識人(士大夫)にとって「冬の時」とされていた。この研究では、石刻資料を中心的な資料として利用することによって、もう元朝時代の漢人知識人社会について、再検討することを目指した。 とくに、次の4つの点を取りあげた。 1)石刻の史料学的検討、2)科挙、3)碑文の撰述、4)元朝の漢人知識人政策 1)まず、石刻史料について、その史料としての形態、現存状況について、史料的価値との関係を論じ、それが最近の研究状況とどう関わるかを論じた。また、曲阜地域の石刻史料の目録を作成した。 2)の科挙については、これまでの研究が元朝では科挙は重要な位置を占めなかった、という評価を取るのに対して、研究はいまだ資料と事実の蓄積の段階であると筆者は考える。そこで、元朝科挙に関する基本資料こついて、その性格と資料的価値を明らかにした。 3)の碑刻の撰述については、知識人が地域社会とかかわる重要な場面の一つに碑刻の撰述があることを指摘し、誰が、誰のために碑刻を撰述したの分析をおこない、社会と知識人とに関係について明らかにした。 4)の元朝の漢人知識改策については、元朝はかならずしも必ずしも中華の伝統文明に対して冷淡であったわけはなかったことを、衍聖公家への処遇、「儒戸」の制度などを例として、石刻史料を利用して明らかにした。 この4年間に、元朝社会研究は進展し、科挙、中華の伝統文明への態度などの問題については、筆者と同様の見解を取る研究が、発表されつつある。
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