研究概要 |
ジャーヒリーカ時代,アラビア半島に偶像神を祭る聖域,巡礼地が多数存在し,メッカのクライシュ族のみならず,半島中のアラブ部族が巡礼期間中の神聖月を利用して往来したことが分かっている.巡礼祭や市での取引においては多くのアラブ部族が役割分担をし,聖域の秩序を維持していたと考えられる.交易品は巡礼に関わる,犠牲動物,織物や貴金属,香料等様々なものがあった.ジャーヒリーカ時代の暦については太陰太陽暦が用いられた.純粋な太陰暦では1年で10数日の差が太陽暦との間で生まれるため,3年に1度ほど,閏月を設けて太陽暦との調整を行っていた.つまり,この時代の巡礼等は季節と一致する形で毎年開催されていたのである.閏月を入れる周期はユダヤ暦の周期にあわせていたと考えられる.メッカにはアブラハム信仰にちなんでユダヤ,キリスト教徒も多く巡礼したからである.晩年のムハンマドは閏月のシステムを廃止し,純粋な太陰暦を採用した.これによりメッカはアラビア半島で唯一のイスラムの巡礼地となったのである.
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