清末の湖南省長沙でおきた、条約と租界に関する係争は、次のような問題を浮上させた点で特徴的であった。第一は列強相互の矛盾である。湖南省長沙の「華洋雑居」問題をめぐっては、ドイツとイギリス・日本の間ばかりか、イギリスと日本の間でも対応に違いを生じた。第二は清朝が列強とむすんだ条約を、地方が明確に拒絶した、或いは物言いをつけたという点である。さらに、このような抵抗を露わにした地方に対し、清朝は適当な指導を行うことができなかった。第三は地域社会の内部にはらむ問題であり、地方の抵抗が郷紳・商人・学生らによる「公議」という形態をとったことである。そして、巡撫も「公議」を無視しては事を行いえなかった。しかし、この「公議」の実態については、不明であった。結局、清朝中央政府は地方における「公議」を無視し、中央と地方で結ばれた条約を遵守した。そのような中で、清朝は瓦解し、辛亥革命が起きた。そして、この点に、清末民初における、列強と中国の政治的問題が、集約的に現れていたのである。
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