期間中を通して南宋時代法制史料『名公書判清明集』の詳細な読解・分析を実施し、対象とする時期の地域社会における人間関係の実相を理解することに務めるとともに、朱熹の荒政実施の際の地方官との軋礫をヴィヴィッドに示す事例として「唐仲友弾劾状」の分析にも力を入れた。歴史学の検討領域の中で標記の研究テーマを具体化するためである。 如上の作業によって、朱熹が弾劾する台州知事・唐仲友の汚職は任地(台州)・出身地(金華)にまたがる、姻戚関係・係累を主たるネットワークとして展開されていたことが実証的に理解できた。並行して取り組んだ『清明集』の記述から知りうる、宋代地方官と地域社会の有力者たちの間の関係の在り方は、必ずしも血縁的要素は大きな位置を占めているわけではない。しかし、血縁というものを無前提に基本的なものと思いこむのではなく、広く人間関係形成の一つの契機として捉えるならば、この時期の台州は研究テーマの良き事例として理解できる。 つまり、血縁に象徴される人間関係の相互扶助的性格に由来する個別・自己利益尊重と荒政に表現される国家の統治のより広い範囲での公平性尊重とが、台州という場で衝突したわけである。本研究では、「唐仲友弾劾事件」というものの意味を再度"発見"した段階で期間が終了してしまったが、国家と人間関係とについての事実に基づいた自分なりの枠組みを獲得できた。2000年9月の第1回中国史学国際会議の「宋元-社会と国家」分科会(伊藤正彦・B.J.Bossler報告)のコメンテーターを務めることができたのも、本研究による実績に負うところが大きい。
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