今回の研究で明らかにできたことは以下である。 (1)1931年4月の共和政の成立は、スペイン人の精神・文化の変容においても一つの画期をなした。共和政憲法は、カトリックを公認の宗教とせず、政教分離・信教の自由を認めた。これはスペインの「文化闘争」だった。これは、共和政と教会とのたんなる政治的対立ではない。それまで教会は、初等教育をはじめそれこそ生まれてから死ぬまでの住民の生活や精神に支配的位置を占めていた、既存の社会意識の最大の保塁だった。宗教を軸とする民衆の精神変容はいくつかのところに見られた。教育、男女関係、所有意識、家族に関してなどである。しかし、これらのことはまた、カトリック精神をもちそれに依拠する広汎な人々に不安と動揺を与えた。もう一つの既存の社会意識の保塁だった軍隊にも共和政は挑戦した。これによって、縦関係に基づく男性支配の象徴、また植民地(モロッコ)支配の象徴である軍人社会も変容を余儀なくされた。 (2)1936〜1939年の内戦は、教会とカトリック(精神)、軍部(とそれに見られる伝統的精神)の共和政への不満を一大要因としていた。内戦中の両派の支配地域においては上述の対照が明確に見られた。反乱派地域では、カトリック精神と軍事的・帝国的スペイン、それまでの家族観・男女観の継続・復活が強調された。共和国地域では、公けのカトリックの活動はなくなリ、「民衆文化」運動、識字率向上運動が高揚した。 (3)共和国大統領アサーニャは、共和政を、19世紀以来のスペインの政治・経済体制、社会のあり方、文化のあり方を決定的に変えるものとして構想した。しかし、内戦になるに及んでアサーニャの構想は破碇した。
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