本年度も昨年に引き続いて、「婦人参政権国際連盟」(IWSA)と「国際女性評議会」(ICW)の第一次大戦前夜から両大戦間期にかけての活動とイギリス・フェミニストの関わり方を、マイクロフィルム史料の読破によって調査してきた。また、英米で新たに続出してきた関連研究文献の読破と、渡英でのイギリス女性史研究者との交流およびロンドン大学での資料収集等によって、多くの知見を得ると同時に新たな疑問も生じてきた。本年度の研究実施計画に対する実績を以下に要約する。(1)イギリスのサフラジストたちが、国際的な運動の連携をどのように構想したか。とくに「婦人参政権協会全国同盟」(NUWSS)と「女性社会政治同盟」(WSPU)の考えの相違点を探ること。--現在までの調査では、国内の運動の方針では大きく対立していた両団体に国際的連携構想の大きな相違は認められなかった。(2)上記ニ大組織にとどまらず、イギリスの多様な女性団体の「国際化」の考えを綿密に検討し、イギリス・フェミニズムがIWSAに与えた影響、逆にIWSAがイギリス・フェミニズムに与えた影響はどうか。--この点もまだ確たる結論には到達していない。しかし、大戦直前にロンドンに「国際婦人参政権サークル」(IWF)が存在し、1913年の婦人参政権活動家692名の人名録があり、その3割近くがこの会員であることがわかった。同クラブとIWSAやICWとの関係はまだ不明であるが、インターナショナリズムへの関心を多くのイギリス・フェミニストが抱いていたことは確認した。(3)多様な文化・階級・宗教・国家・民族の相違を超えた「ユニヴァーサル・シスターフッド」の概念を「英帝国」フェミニズムがどの程度共有し得たか。--イギリスの婦人参政権がまだ実現しない段階に、国家を超えた運動の提携は理念としてはあり得ても、積極的行動にまで至らなかった事情が、NUWSSの会長のM.G.フォーセットのICWへの書簡等から判明してきた。
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