19世紀末から20世紀前半にかけて、いわゆる第一波のフェミニズム運動の形成・発展は欧米諸国のナショナルなレベルにとどまらず、国籍・民族を超えたフェミニズムのインターナショナリズムがほぼ同時進行した。本研究の目的は、イギリスのフェミニズム、とくにサフラジズム(婦人参政権運動)とインターナショナルな運動との関係を探ること、すなわちイギリス・フェミニストたちが「国際的連携」をどのように考えていたかを探ることにあった。3年間の研究期間に、イギリス・フェミニズム側の諸々の機関誌の中に「インターナショナリズム」に関する構想を探ることと、二つの女性の主要国際団体「国際女性評議会」(ICW)と「国際婦人参政権同盟」(IWSA)の活動へのイギリス・フェミニストの関わり方を両国際団体の史料の中にさぐる調査をおこなった。イギリス国内の運動も、また国際的女性団体の運動もともに一枚岩ではなく、複雑な活動のプロセスがあり、諸々の葛藤をとおしてシスターフッドの絆を作り上げていったことを確認し得た。 第一次大戦前夜のイギリスの二大婦人参政権団体(NUWSSとWSPU)のうち、組織的にICWおよびIWSAと持続的にかかわったのは、前者の穏健派であった。そのNUWSSの内部でも、フェミニズムの国際協力という構想では、時期によって微妙な変化が見られ、組織としても統一されていなかった。当該期間会長職にあったフォーセットは、同構想を諸処で説いてはいるが、現実行動としては「不熱心」に見えた。その理由は、国内の運動をまず優先させたこと、とくにWSPUとの対抗関係の激化、女性のインターナショナリズムがアメリカのサフラジストにより指導されていることを快く思わなかったこと、WSPUの過激行動を国際団体の指導部が賞賛していたこと、戦争突入後は愛国主義との葛藤などにあったことが判明した。
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