前1000年紀半ば、史上初めてオリエントの統一に成功したハカーマニシュ朝(アカイメネス朝)ペルシア帝国(前550-330)にとって、最大の課題は前3000年紀以来の歴史をもつオリエントの、新たな覇者として国家のあり方を顕示することであった。とりわけ正確・迅速なる情報の収集と管理は、最優先の課題であったはずである。 独自の文字を持たなかったハカーマニシュ朝の人々は、第3代ダーラヤワウ1世(ダレイオス1世 在位前522-486)治世下に(昨秋、御教授いただいたProf.VALLATは、ハカーマニュ初期と想定)古代ペルシア語楔形文字を考案、伝統的なアッカド語・エラム語(ともに楔形文字)併用の王朝の威信を誇示する碑文を作成、広大な帝国内のコミュニケーションの公用語としてアルファベット・アラム語を採用すると同時に、エラム語による管理記録システムを、ハカーマニシュ朝発祥の地、イラン高原南西部パールサ地方を中心とする王室経済圏に導入した。王室財産の管理・王室管轄下の労働者の管理等は、王族・ペルシア人高官の指令下、王室経済圏全体/地域の最高責任者に相当する人物を介し、労働現場に伝えられる文書によって処理された。ペルセポリス出土のエラム語粘土板文書「城砦文書」を中心に、指揮系統の分析を進めているが、史料の出土状況による制約故、いまだ確定的な結果は出ていない。ただし各文書に捺印されている印章の分析を徹底させることにより、あらたな展開が可能になると考えている。
|