人類最古の都市文明を生みだしたメソポタミア南部のシュメール人は、自らの言語を文字として記号化するの成功、文書主義に基づく国家管理体制を実現した。 前1000年紀後半オリエント世界を支配したハカーマニシュ朝ペルシア帝国は、前3000年紀以来の文書主義に基づく国家管理の伝統を踏襲、当時のリンガ・フランカであるアラム語を帝国の公用語として採用、王や高官の下にはアラム語と古代ペルシア語、あるいは被征服地の言語を解するバイリンガル/トゥライリンガルの書記を配置した。中央政府の指令や地方からの情報は、彼らの介在により、また整備された幹線道路や、宿駅制度、騎馬急使の制度を利用し、迅速かつ正確に伝達された。このような文書行政の中核を担った書記の養成、文書作成の指揮系統に関してはハカーマニシュ朝発祥の地バールサ地方の王室経済文書「城砦文書」が貴重な情報を与えてくれる。たとえば書記養成の課程には、(1)ペルシア人「少年」が将来の「幹部候補生」として特別に選ばれ配属されていたこと、(2)文書作成を統括するのはペルシア人高官/所轄担当責任者であるが、実際の文書作成に関与していた書記の多くはアラム語や当該地城の伝統的言語エラム語を解する非ペルシア人であったこと、(3)文書作成に関する責任及び内容は、文末に列記される高官/担当責任者、複数の指示伝達者、文面を作成した書記の名前とその印章によって保証されていたことなど。 これらの研究成果は、永田雄三編、『西アジア史II』、山川出版社、2002年、第1章「古代オリエント世界」に収められている。
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