研究概要 |
本年度はビザンツ帝国が南イタリアを再征服する九世紀後半のイタリア半島情勢を主に扱った。当時南イタリアには複数のイスラム勢力の拠点があり,フランク皇帝ルートヴィヒ二世はイスラムの拠点の一つであったバリを攻撃するに当って,ビザンツ海軍の援助を要請したのがビザンツ帝国の南イタリア再征服の契機となった。このルートヴィヒ二世の南イタリア遠征は従来「先駆的十字軍」という評価がなされてきた。しかし不思議な事に彼の遠征が失敗するのは,現地のベネヴェント侯国のランゴバルド人の抵抗によるものである。「先駆的十字軍」であるのなら,キリスト教徒であるランゴバルド人がなぜその妨害をしたのか。この疑問を解く為に,従来対イスラム関係の影にかくれて余り注目されてこなかったルートヴィヒの対ランゴバルド関係に着目して,彼の南イタリア遠征の再考を試みた。 その際に特に注目した史料は849年のベネヴェント=サレルノ分離条約である。これはランゴバルドの内乱で双方がアラブ人傭兵を用いていたのをルートヴィヒがアラブ人傭兵を一掃した後に内乱を調停したものと評価されてきた。特に第24条で領内からのイスラム教徒追放が規定されている事が「先駆的十字軍」の根拠ともされてきた。しかし,人称代名詞の使われ方に注目した結果,同条規定はベネヴェント側にだけ課せられたものである事が判明した。また内乱介入以前の段階でサレルノはルートヴィヒと盟約を結んでおり,また年代記等に残っている限りにおいてルートヴィヒはベネヴェント側のアラブ人傭兵としか戦っていない。以上の理由から,ルートヴィヒの南イタリア遠征は「キリスト教世界防衛」を大義名分としたベネヴェント併合計画と評価しなおすべきであるという結論に達した。
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