二ヶ年にわたる本研究の第2年度も、北部九州を中心とする弥生時代鋳型の調査を行った。昨年度から今年度にかけて和歌山県・岡山県を含め新たに出土した10点以上の鋳型も詳細に調査できた。この中の和歌山県御坊市堅田遺跡の〓鋳型は前期末に遡り、確実な伴出土器からは最古の鋳型であることが判明し、日本列島における青銅器生産開始の時期及び地域的広がりに、従来の認識では解釈できない新たな問題を提起している。また春日市須玖坂本遺跡出土の銅鏃鋳型はA面には7連49個の実用的形態の鏃型を、B面には2連8個の大形で非実用的鏃型を彫り、周辺の1〜2個の鏃型を彫る鋳型と対比すると、鏃には実用的有茎式と非実用的有茎式・基部凹入式が作り分けられていたことが判明し、製品の分布とあわせ青銅器流通を新たな材料から考察できることを確認した。また発見例が増えた後期の倣製鏡鋳型について、(1)分布が北部九州一帯に広がり銅武器生産とは異なる生産体制が予測され、(2)鏡背だけでなく鏡面型もみつかり、石・土鋳型の組み合わせに関する新たな技術的考察が必要になった。 春日市須玖坂本遺跡は弥生時代中期後半から後期の青銅器生産中枢であることが鋳型5点の追加発見から確実になり、本遺跡と周辺の歴史的位置づけを他地域と比較する必要と手がかりを得ることができた。 そのほか、鋳型の形態、湯口の形状、鋳型折損の状態などから鋳造技術に対する微細な面を知る手がかりを得、それをも含む詳しい検討を現在進めている。
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