本研究においては、鋳造関係遺物の観察・実測等によって弥生時代鋳造遺物について、また調査担当者への聞き取りと報告書の精査によって鋳造遺物出土遺跡の実態について、全体的把握を行った。 その結果、青銅器鋳造関係遺物が出土する遺跡が、九州から愛知、北陸の範囲で136遺跡あり、鋳型の出土量が320枚に達し、そのうち中型、送風管、坩堝・取瓶が出土して鋳造を行った可能性の高い遺跡が30遺跡であることを確認した。 これによって、はじめて全国的な鋳型と鋳造関係遺物の現状における完全な地名表を作成した。とくに鋳型地名表においては、各鋳型に彫り込まれた製品の種類と精密な型式と細かな時期を記載し、青銅器生産の地域的、時期的変遷を考察する基礎が確立できた。本地名表は今後の弥生時代青銅器研究のあらたな展開に裨益するところが大きいと自負している。 また基礎的な考察を行い、朝鮮半島から移植された青銅器製作技術が移植後きわめて短い間に変化して弥生独自の技術に転化すること、九州での青銅器生産が鳥栖・佐賀・春日地域でほぼ同時に始まるが、後には前二地域では衰退し春日地域の独占的生産体制が形成されること、九州の青銅武器の各型式の生産時期がかなり重なること、最後まで石型を用い続ける九州では大形武器形祭器製作のために連結式鋳型という方策を編み出したこと、関西を中心とする銅鐸生産では中期から後期への移行期において石型から土製外枠への大きな技術的転換が行われ、同時に散在していた生産地が少数の生産工房に集約されるらしいことなど、技術の細部と生産体制に関する事項を一層明確にできた。
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