山田寺式軒瓦は重圏文縁単弁蓮華文軒丸瓦と重弧文軒平瓦から構成され、奈良県山田寺が標式であり、起源である。山田寺と同じく640年代に建設中の百済大寺(現吉備池廃寺)の軒瓦は重圏文縁単弁蓮華文軒丸瓦と型押し忍冬文軒平瓦から構成され、近年前者は百済大寺式軒丸瓦と仮称されている。従来、船橋廃寺式→百済大寺式→山田寺式という軒丸瓦の型式変化が考えられてきた。しかし、百済大寺と山田寺の創建年代はほとんど差がなく、しがたって軒丸瓦の型式差を時間差に置くことはできない。佐川は両型式の根本的差が、蓮弁の弁端表現にあると考える。百済大寺式は弁端を尖らせ、山田寺式は横断面を「へ」の字形にする。百済大寺式も山田寺式も仏像光背や台座の意匠にその起源が求められるが、山田寺式の場合は、とくに法隆寺釈迦像頭光、大阪府野中寺弥勒菩薩半跏像台座、韓国(百済)陵寺大香炉の単弁に酷似する。渡来系仏師の深い関与があったことはまちがいない。 以上の成果に基づくならば、列島内に分布する従来山田寺式軒丸瓦と総称されてきたものについても、弁端表現の差によって分離して、検討する必要がある。例えば中国・四国地方に分布する少なからぬ例が、百済大寺式・系となろう。 さらに山田寺出土軒丸瓦の研究によって、山田寺式軒丸瓦が列島内に波及する契機は、7世紀中葉と7世紀末〜8世紀初の2回あったことも明らかにされた。
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