今日の日本語研究の直接の源流は院政鎌倉時代の平安仮名文芸作品(古今集など)の古注釈にある。この時期は、律令国家体制が崩壊しつつあり、伝統的な公家社会の社会的権威が、台頭する武家の勢力の前に揺らぎ始めていた。そこで京都の公家たちは自らのよって立つ文化的基盤を確認し、その政治的全盛時代の宮廷文化を観念的に復元する文芸復古運動を行った。漢籍や仏典以外の日本語で記された日本古典の学がこの時に成立した。言語研究が古典注釈から成立したという事情は、前3世紀にアレキサンドリアでホメロスの叙事詩の古注釈から西洋古典学が立ち上がった実情と近似する現象である。西洋の言語研究はこの時期の古典ギリシャ語文法学に発する。西洋文法学は、ギリシャ語のほかローマ帝国時代の標準的記載言語であったラテン語文法を併せて知的世界の基礎的教養源として不動の権威を構成した。ルネサンス期における学問の世俗化のなかで文法学もキリスト教学から離脱し、さらにヨーロッパ諸国の東方経営の過程でサンスクリットを発見するに及び比較言語学が発足し、言語研究は古典注釈からも離脱する。以後、近代科学としての言語学は本質的に言語の系統関係を元に祖語を再建する歴史言語学として発展するが、20世紀初頭にスイス人ソシュールが非歴史的な理論言語学を提唱して以来、言語の歴史的変遷を機能論的に解明する新しい言語史研究が成立した。他方、伝統的日本語学は西洋古典学の展開と似て密教教学からの離脱に成功して大衆化する(国学)。明治以後、西洋言語学を受け入れたわが国で「国語史」の概念が成立したが、ここには伝統的な古典解釈のための語学と系統論的な歴史言語学およびソシュール以後の機能論的歴史言語学という異質の研究が相互批判抜きに雑多な形で共存している。今後日本語の歴史的研究の発展のためには、機能論的方法の開発を自覚的に進めなければならない。
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