本居宣長は『字音仮字用格』「喉音三行弁」において、古代日本語の具体的音声を学史上初めて科学的推論と実証によって復元することに成功した。日本音声学は、そのような意味において本居宣長によって開始されたのだと言える。かかる宣長の方法は、しかしながら民族主義的情熱と一体のものであったので、正確に復元された古代国語音声の再構成への宣長の学問的自信は民族主義的排他性への傾向を急速に強める結果となった。『字音仮字用格』からまもなく上梓された『漢字三音考』では、復元された古代国語音こそが純正であって中国語を初めとする外国語音を不正であると断定する極端な外国語蔑視の姿勢となって現れた。このような宣長の態度が上田秋成との『呵刈葭』論争を引き起こすことになる。この論争については今日改めて再評価が求められるが今期は上田秋成が対宣長論争の際に依拠した礪波今道の学説に注目し、それを正確に復元することに留意した。礪波の名は『呵刈葭』において秋成の側から頻繁に挙げられているが、最終的に宣長によって葬り去られた形になっている。そのためであるのか、同人は国語学史では全く無名で今日まで本格的に報告された例を見ない。今道の『喉音用字考』は、その主著であり写本一点が静嘉堂文庫に所蔵されている。本書の内容は、古代漢字音にmn韻尾の区別が存在したこと、喉音三行弁を韻鏡音図に基づき正確に規定したことなど国語学史上重大な内容が含まれており、上田秋成が主張した内容とは異質の情報が含まれている。その意味で本書が『呵刈葭』論争に関する評価を書き替える可能性があることを解明した。
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