中世以来の仮名正書法である仮名遣いは、近世中期の学術の展開の中で画期的変革を遂げた。純粋書記規範であった定家仮名遣いに替わって、上代仮名の体系に規範を置く契沖仮名遣いは、その枠組みとしていろは歌を放棄し、「五十音図」を採用した。その結果、仮名遣いの背後に古代語音の独自の秩序があるという推定が浮かび上がった。仮名遣いで問題となる「いゐひ」、「えゑへ」、「おをほ」を図上に並べるとその規則性は一目瞭然となるからである。かくして、古代語のアワヤ三行の発音の区別の崩れが仮名遣いを出来した根本要因であることが明らかになった。このように、仮名遣いの根源にあるアワヤ三行の発音の区別の解明が近世仮名遣い論の主要課題となる。これを「喉音三行弁」という。契沖、文雄、田中大観らによる「喉音三行弁」の音韻学的規定を受けて、本居宣長『字音仮字用格』「喉音三行弁」がアワヤ三行の具体的な音価推定に成功し、日本音声学が立ち上がった。同書の「於乎所属弁」は、その顕著な成果である。宣長の「喉音三行弁」は、古音復元の具体的方法を備えた最初の音声学的業績である。宣長の業績は、西洋言語学におけるグリムの法則の発見に比肩するものであり、しかもこれに数十年先行する。宣長もヤーコプ・グリムもともに伝統的な正書法の分析から出発し、それを突破して古代語音復元の科学的手法に到達した。二人の学問的熱情が民族主義であることも興味深い一致点であるが、これは発足当時の音声学が民族主義の熱情によってさえられたものであることを示す好個の実例である。今日の言語学史は、近代音声学の発足を歴史的視点を伴わないイギリス音声学をもってその開始を叙述するが、これは学問の歴史的展開の必然性を十分に語るものではない。イギリス音声学の始祖ヘンリー・スイートがライプチヒ大学でグリムの『ドイツ文法』第二版(1822)に没頭したことはもっと強調されるべきである。
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