平安時代の古辞書『新撰字鏡』の資料的検討を本年度も継続した。その過程で、新たに、『切韻』の引用と『玉篇』の引用との判定の仕方を一層厳密に進めることが求められた。この方面では、夙に貞苅伊徳と上田正の研究が知られているが、それらを活かしつつ、さらに個別的な分析を通して、二書がない交ぜにされている実態を解明する必要がある。 倭訓については、従来の『萬葉集』を始めとする上代文献のみならず、平安時代の『源氏物語』等に資料の広がりを求めて、用例の収集と整理につとめた。また、上代の語彙の幾つかについて、この研究の中で得られた、古辞書を利用した分析方法を適用して、通説的な理解しかなかった語の成立と派生について新見を得た。 そうした中での反省の一つに、この倭訓があくまでも漢文を訓読する必要から出来ているということの限界がある。即ち、この語彙は辞書的な網羅を目指したものでも、百科辞典的なことがらの網羅を目指したものでもなく、従って、例えば平安時代前期の日本語語彙としては、全体的とすることが出来ない。ある稀な使用の漢字があって、それが和語では何に当たるかという関心はあっても、その全体を集めて、『玉篇』に匹敵する和語辞典を作るような意図はなかった。その点で、この『新撰字鏡』は、後の時期の『和名類聚抄』『類聚名義抄』とは異なる、特殊な質の辞書であることが、害質的なレベルではっきりしてきた。 本研究の作業を補助している大学院生達も資料の扱いになれてきて、従来十分でなかったこの分野の継続が望まれる。
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