本研究はわが国の風土で培われた近代の文学者が環境としての自然をどのように捉え、その自然観が、その風土と文学の美的構造の中に息づき位置づけられているかを実証的に調査論及することが目的である。 日本の近代を考える時「明治維新」という大変革が一つのエポックとなる。明治維新以後、政治・経済・社会が急速に西洋の文化の影響を受けつつ近代化していく課程で、文学もその例外ではなかった。古来、日本では人々を取り巻く自然が文学や芸術の題材となっており、詩歌や絵画において秀作を生み出して来ている。しかし自然は作品を生み出すための対象にすぎず、科学的な自然研究の対象とはなっていなかった。このような中で、ルソーの『告白』、ダーウィンの『種の起源』などの西洋の近代的思想から、自然に対する客観的叙述を学び、自然観察の上に新たな自然美を作品に展開していく思潮が生まれた。更に、ツルゲーネフに代表されるロシア文学や近代絵画から定点観察を学び、観察による写生という科学的技法を探求していったのである。その代表的文学者として島崎藤村がいる。客観的な観察は、伝統的自然観による天然の美をうたう態度から、科学的な観察による記述へと変化させた。その手法はさらに人間の営みを、対象的に自然科学的に考えようとする思想傾向を生み、人間が持っている本能的な要素を認識していく、或いは醜悪な面を暴露していく動向へ発展させた。その根底にあるものは「自己の主体性を確立し、自然を自己に対する客体として捉え、自然の美を態度を変えて捉えた姿勢」であった。これこそ、自然科学者の持つ近代的自然観に通じるものであった。 近代におけるわが国の文学を考える時、日本の伝統文学を継承していく一方で、西洋の近代文学の影響下、従来の文学とは違う新しい文学が生まれたといえる。その根幹には、新しい自然観の確立があったと考えることができる。
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