「聖母」と「娼婦」の表象は、男性中心的言説にあって、女性を徹底的に称揚または排除するその修辞構造によって、女性に対し抑圧的に機能する。すなわち一見、女性の価値についての両極に別れたかに見えるこの二つの記号は、共同体にとっての価値の観点からは、中心化しつつ同時に周縁化することで、表裏一体となって互いの意味を支えあうように機能する。ここで注目すべきは、聖母が中心で娼婦が周縁にあるのではなく、両者はそれぞれ、男性の欲望の対象として中心的に言及されておきながら最終的に共同体の外部へと排除される点で、いわば正・負の方向性ながらも絶対値において等しく周縁化されているということである。英国演劇史におけるロマンスの展開は、その解釈史ともどもこの伝統のバイアスを受けており、修辞的構造のレヴェルでのキャノンの読み直しを経ることなしにこの問題を「外側」から考察することは困難を極める。具体的には、ジェイン・ショアの挿話の演劇史的変容を軸としてみることで、ロマンスが封建制度下の主体から市民社会のそれへと委譲されるプロセスで、聖母性と娼婦性をともに纏わされた女性が帰依すべき世界を剥奪され、結果的に社会によって消費され、あるいは排除される様子を確認した。演劇史のキャノンの周辺的なテキスト群を精査する過程で、電子テキストのデータを利用する際の思いがけない方法論的落とし穴を発見することができたことは、併せて収穫であったと言えよう。
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