1.一昨年度、昨年度に引き続き研究の深化をめざし、1920年代における伝統的価値観の危機、同時代における歴史意識の特性をさぐった。 2.研究の一環としてジョン・クーパー・ポウイスの長篇小説『ウルフ・ソレント』(1929年)の翻訳を行なった。話法という側面で見れば伝統的リアリズムの特徴を色濃く残存させている一方、個人の時間感覚と内的意識を前面に浮上させている点で、この作品は、モダニズムとはなにかという問題にかんする重要な示唆を与えてくれるものといえる。 3.ポウイスの作品において注目すべき要素のひとつは郷愁(ノスタルジア)であろう。作品そのものの主題が「帰郷」にかかわっているだけでなく、作者自身がアメリカ合衆国にありながら本作品を執筆することによって擬似的、儀礼的に「帰郷」を企てようとしていることは明かである。その企図は、当然のことのように、みずからの魂の深部をさぐることを目的とした一連の省察に帰着することとなる。 4.この作品に読み取れるような遡行や逆行は、新たなもの(モダンなもの)と古風なもの(伝統的なもの)の表裏一体をなす関係を徴候的に示した好個の実例となっているといえよう。この地点からさらに展開されるべき研究の可能性は、「イングランド的」と称される価値観がこの時期に胚胎した理由を解明することにかかわってくるはずである。さらにわれわれは、一般にいう郷土愛とナショナリズムがどのような形で結びつくにいたるかという点にも着目しなければなるまい。個人の意識と共同体の意識を明確に定位させることができれば、多方面で探究されている記憶理論にたいしてなんらかの寄与を行なうこともできるだろう。
|