1.宇宙構造論:(1)『失楽園』が書かれた17世紀に確立した地球投影図法は、微分や無限級数などが合理的数学概念として成立したがゆえに、かえって表象不可能な無限が地図上にあることを露呈してしまう。(2)『失楽園』の宇宙空間のなかでは、神のコンパスと神の国とによって無限が二重に囲いこまれているが、それでも無限は表象の枠組からすべりでている。(3)この横すべりがあたかも起っていないかのように、叙事詩の語り手はこの詩を有機的に表象化している。2.神概念論:(1)この詩には二人の語り手がいる。一人は、有機的表象によって無限を囲いこめると思い込んでいる語り手(1巻-3巻、9巻-12巻)である。もう一人は、たとえば比喩(サタンの変身、天上の戦いなど)が架空のたとえではなく実在であることを意図せずに示してしまう語り手(4巻-8巻)である。(2)後者の語り手の存在こそ、有機的表象が神や無限をも含めたすべてをあらわしえないそのほころびを露呈させる起爆剤になっている。3.実体科学論:(1)聖霊についての解釈は、ニケーア公会議で最終決定され解釈問題に終止符がうたれたのではない。会議の一世紀もまえに活躍したカトリックやプロテスタントが崇敬する初代教父間でも、また会議以後約200年間も聖霊をめぐる論争は続いた。(2)聖霊は光として表象化されるが、光はアトムといった粒からできているという科学概念が古代から17世紀にもあった。(3)光としての聖霊と、光によって人間が神の世界に上昇していくというルネッサンス新プラトン主義の考え方がドッキングした。(4)そのような光としての聖霊は、純粋な力(強度)として「遊牧的」(ドゥルーズの用語)に表象化されるよりも有機的表象にならざるをえなかった。
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