平成11年度はコットンとトマス・フッカーの関係、アンチノミアン論争で追放されたジョン・ウィールライトとの関係、ボストンの都市の発展を研究した。フッカーに関しては論文出版が予定されている。ウィールライトとコットンの間でかわされた書簡はボストン公立図書館に所蔵されているため、これを資料収集するために私はアメリカに渡航した。この二人の書簡は約400年前に書かれた貴重なアメリカ合衆国の文化財であるため、写真に写してもらい解読した。しかしそれでも年月を経て解読できない部分があり、これについてはウィスコンシン大学英文学部ジョン・バスコム教授のサージャント・ブッシュ教授の助力を得た。ブッシュ教授は現存するコットンの書簡を出版する予定である。 ウィールライトはマサチューセッツ湾植民地を追放された後、エクセターに行ったが、1643年にコットンの仲介でマサチューセッツ湾植民地政府と和解した。上記の書簡はこの時に交わされたものである。ウイールライトは和解後、1650年代に英国に帰国した。クロムウェルの学友として英国のピューリタン革命を見守ったが、1660年の王政復古で再びアメリカに渡航して帰ってきた。 コットンとウィールライトの関係は今まで分析されたことがなく、ほとんど知られていない。私はこの対照的な二人を書簡から解説し、平成12年度の日本英文学会大会で発表を行なう。ただしブッシュ教授から送っていただいた部分に関しては公刊前なので制約があり、口頭でのみ言及する。 ボストンの発展については、ニューヨーク公立図書館の地図部門で資料収集した。ボストンはインディアンから買収した1630年代から現在に至るまで地図が残っており、これが都市の発展と植民地の拡大を証明している。ニューヨーク公立図書館は写真用に古地図を用意しており出版許可も取れるので、平成12年度に出版を予定している報告書にも掲載する予定である。
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