研究概要 |
ヘルマン・バールの活動時期は4期に区切ることができる。すなわち,1863年から1891年までの批評家としての準備期,1891年から1903年頃までの世紀末ウィーンの新しい芸術運動の主導的批評家としての時期,1904年頃から1914年までの転換期,1914年から1934年までのカトリック復帰後の時期である。転換期をはさんだ次の二つの時期,世紀末ウィーンのモデルネの運動推進期とカトリック色を強めた晩年の時期のバールの関心の相違を,当該時期の日記中での人名への言及頻度を比較対照させて探ってみた。特によく言及されている人名は,前者の時期においては,ゲーテ,ホーフマンスタール,M・ブルクハルト,カールヴァイス,オルブリッヒ,シュニッツラー,クリムト,W・ジンガー,シェイクスピア,S・レーヴィである。ゲーテとシェイクスピア以外は皆, 「若きウィーン派」の人々をはじめとする作家,批評家,編集者,ならびに「分離派」の画家や建築家であり,彼の関心がモデルネの芸術運動にきわめて強く向けられていたことがわかる。それに対し後者の時期において特によく言及されている人名は,ゲーテ,シュティフター,ビスマルク,シェイクスピア,ドストエフスキー,ナポレオン,ヘルダーリーン,カント,ホイットマン,M・ブルクハルト,ダンテ,バルザックである。古典的な作家や歴史上の人物に概して関心が移っでいたことが読み取れる。また各年度ごとにさらに詳しく調べると,この時期には当時発表された新しい思想的著作への関心も強まっており,二十世紀初頭の知の動向の批評家としてバールを捉えうることが確認できた。
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