平成10年度においては、まず戦前のオーストリア映画の史的展開について研究することに重点を置いた。オーストリア・フィルムアーカイヴと密接な関係をとりながら、該当する作品を一本でも多く見る努力をし、文献資料の収集・研究につとめた結果を、以下に簡単に書いてみたい。オーストリアでは映画の発明者は現れなかったが、リュミエール兄弟が公の場で映画を披露した三ヶ月後にはウィーンに映画館ができていた。しばらくは外国作品のみが上映される時期が続いたが、1906年からは国内でも映画撮影が始まった。そして10年代に入ると、映画を芸術の一ジャンルとみなす風潮が広まり、<文芸映画>の時代が開花する。ここでとりわけ特徴的なのは、怪奇幻想作品が特に愛好されたことだろう。第一次世界大戦の開始以後は、社会問題へ深く踏み込んだ作品、現実の悲惨さを訴える映画が増える。とはいえ、この時期からすでに鮮明になっていたのは、演劇・オペラとの強い絆であった。すなわちオーストリアでは、オペラや芝居の人気演目をそのまま映画化した作品がきわだって多く、しかもそこには演劇界の有名スターが多く参加していた。とりわけ、宮廷を舞台とする映画、召使いと主人を主人公とする作品の多いことは、この国ならではの特徴だといえる。20年代の後半に大規模なセットを使用した<センセーション映画>の流行があったあと、トーキー映画が発明されると、オペラを翻案した<音楽映画>が開花する。やがてナチ時代が到来すると、<逃避的傾向>はいっそう鮮明となる。特にドイツに併合されてからは、オーストリアではほとんど現代劇は撮られなくなり、無害なオペレッタ映画や<郷土映画>ばかりが量産された。しかし、前述したオーストリア特有の傾向は、母国を離れてドイツやハリウッドで活躍した映画作家たちの作品にも見てとれる。平成11年度は、オーストリア作家がドイツ映画にもたらした影響を確定したい。
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