1.4世紀から7世紀にかけて、ヴィンディヤ山の女神(ヵウシキー)と水牛の魔神を殺す女神(マヒシャースラマルデイニー)の信仰が隆盛となり、両者が融合した「魔神を殺す女神」というタイプの女神信仰が興隆することは、文献・碑文・彫刻等などから明らかである。その結果、ヴィシュヌ系・シヴァ系双方の神話・信仰にこの女神信仰を包摂することが課題となった。ヴィシュヌ系では、4世紀頃ハリヴァンシャが不完全ではあるが、ヴィンディヤ山の女神をクリシュナ神話に包摂する試みを行った。シヴァ系では、6から7世紀頃に成立したと考えられる原スカンダ・プラーナが、水牛の魔神を殺す女神を融合させたヴィンディヤ山の女神を、シヴァ神妃の分身かつ娘としてシヴァ神話の中に取り込むことに成功している。本研究ではこの原スカンダ・プラーナの女神神話について、(1)主要な13章分の校訂と全18章のシノプシスの作成(2)この女神神話全体の構造分析(3)この女神神話中に現れる個々のモチーフについての文献・考古学資料を総合した研究、を行った。 2.上記の研究結果とハリヴァンシャの記述との比較から、ヴィシュヌ系・シヴァ系双方の神話に述べられる以前に、「黒い肌をもち、魔神を殺す処女神」という特徴をもつヴィンディヤ山の女神の神話・信仰があったことが証明された。またスカンダ・プラーナにみられるこの女神の「戦士化」から、より土俗的な「魔神を殺す女神」から「戦士としての女神」への発展過程をたどることができる。その後8世紀頃に成立するデーヴィー・マーハートミャにおいて、ヴィシュヌ系・シヴァ系双方の女神神話が折衷され、この「処女戦士としての女神」が至高神とされることによって、インドに特異な大女神信仰が確立することになる。 3.当初の計画のうちの9世紀以降の展開については、1の(1)に予想以上の時間をとられたため、今回は研究することができなかったので、今後の課題としたい。
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