研究概要 |
本研究は、まず19世紀後半から20世紀前半にかけ、日本を含むアジア各地に存在した欧米列強の植民地そして外国人居留地に建設された欧米人のための劇場(西洋劇場)を拠点として活躍した欧米の巡業旅芸人(演劇、音楽を始めとしてサーカス、マジック等々の諸芸を含む)の実態を調査し、次いでその全容を解明することにより、従来ほとんど等閑に付されていた西洋芸能のアジア巡業が及ぼした文化史上の意義を明らかにすることを最終的な目的としている。 研究対象を日本の3つの外国人劇場、すなわち横浜ゲーテ座(The Gaiety Theatre, Yokohama)、神戸体育館劇場(The Gymnasium Theatre, Kobe)、長崎パブリック・ホール(The Nagasaki Public Hall and Theatre)、そして1860年代から1920年代にかけてアジア各地に設けられた西洋劇場に置き、そこを訪れた旅芸人一座の活動状況を明らかにすることに努めた。その基礎作業として彼等の日本での常打ち劇場であったこの3劇場の実態解明と詳細な催物リストの作成を続け、巡業一座の実態を実証的に解明しようとした。 この結果、彼等の日本における活動状況はかなり明瞭になってきた。そして彼等の日本滞在中の出し物は、アジア各地を巡業中の演目と共通しているので、「西洋芸能のアジア巡業」の実態は大筋において明らかになってきた。なお、2001年の夏、本務校から旅費の補助を受けオーストラリア国立図書館で資料調査をする機会に恵まれ、そこでかなりの数の当時のプログラム類-それらは今まで発見されておらず、散逸したと思われていた-を見付けることができた。これは予想外の大きな収穫であった。 以上の成果を利用して近い将来<西洋芸能のアジア巡業>を主題とする書物の公刊を準備している。
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