1.昨年度は、『アンティゴネ』における主人公の自殺がカロス・タナトス(美しい死)ではなく、餓死という屈辱的な死を逃れるものだったという論証がほぼまとまったが、この内容の一部を今春西洋古典学会で発表することになったため関連する議論を補強する必要が生じ、過半の時間をこれに費やすこととなった.まず、戦死を意味したカロス・タナトスとは戦闘中の死でなくてはならぬことを、前8世紀から5世紀までの用例から実証した.また、女性の死は、目算における以外にはカロスと形容された例がほとんど存在しないという事実を見出した.しかるにアンティゴネは果敢にカロス・タナトスを目指してそれに失敗する.彼女の果敢さはエウゲネス(よい生まれ)という語で賞賛されるが、その死は全くカロスではない.この劇は、女性には美しく死ぬという機会が与えられていないという宿命、女性には(何かを守ろうとする場合でも何かを勝取ろうとする場合でも)戦いに命を賭けるという機会が与えられていないという宿命-それは、女性が敗戦に際しては捕虜奴隷となる道しか残されていないという宿命とも通じるものである-を同情をもって描いたものである、ということが新たに得られた知見である. 2.この劇が徹底的にアンティゴネの不幸を描いたことはクレオンの行過ぎたポリス中心主義への批判でもある.「人間賛歌」は埋葬禁止令を出した彼が非人間的でありポリスに相応しからぬ人物であるということを描こうとしたものだという見解を得、昨年夏文明と野蛮を考察するシンポジウムで発表した. 3.『ヒッポリュトス』における死の受容については、パイドラがエウクレエス・タナトス(名高い死)は不可能になったとして首吊りに転じるが、それは必ずしも相手を懲らすという一義的な自殺ではなく、いまなお名誉を目指した最初の死の決意の延長線上にあるものと解するべきことを示す幾つかの根拠を得た.早急に纏める予定である.
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