ギリシア悲劇には人々が死を受容する様々な場面が描かれているが、その中に男女間での色々な差異が認められる.注目に値するのは、自発的な場合でもやむを得ぬ場合でも人物たちは死をよりよきものとして受容れようとするが、女性にはよき死を死ぬ機会が男性よりも閉ざされていると言うことである.それを象徴するのが悲劇『アンティゴネ』である.アンティゴネは「カロンなる死」(美しい死)を得ることができると信じ、それを目指して兄の埋葬を挙行したのだが、結局願いは叶わなかった.このことの背景にあるのは、「カロンなる死」を死ぬことはもともと女性である彼女には許されていない選択であった、という事実である.なぜなら、悲劇の時代までは、戦死以外の死が「カロンなる」と形容されることはなかったからである.「カロンなる死」とは、『イリアス』に語られた「カロンなる死体」を経て、テュルタイオスによって、「前線において戦いながら死ぬこと」と規定された.それ以外には、死が好ましい、望ましい、等と主観的・相対的によきものとされることはあっても、客観的・絶対的によきものとして主張されることは一切なかった.それが5世紀になると、『アンティゴネ』ほかの多くの悲劇が、人は戦死以外に「カロンなる死」を死ぬことができるのではないか、と問題を提起したと言える.しかし予想されるのは、いかなる悲劇もそれに肯定的な答を提供していない、ということであるが、それは今後一つ一つ検証していくべきことである.
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