本研究は未公刊資料の探訪を基礎とした。調査地別に報告をまとめる。八戸調査:八戸市立図書館には稲垣(種市)家より移管された八雲資料がある。一時所在不明になっていたが、八戸の関係者の尽力により、再発見された。これは小泉節夫人が稲垣巌の死後ミドリ夫人に持たせたものである。そのあたりの事情はミドリ夫人の長女である種市八重子氏との直接の面談により、従来知られているよりもはるかに詳しい情報を獲得した。資料は、書簡および新聞などの記事の集成である。八雲研究者が東北の地に来ることは困難であろうから、研究者の便宜のために資料はすべて影印版を伴った形で公刊する方向に進んでいる。北陸調査:北陸調査旅行の成果は三つの柱が軸になっている。その第一は浦佐の池田記念美術館の所蔵資料である。極最近町田にあった小泉家から移管されたものである。完全な整理は終わってはいないが、暫定目録を入手した。特筆すべきは、小豆沢から八雲宛の書簡があったことである。これは従来全く知られていなかったものである。筆者は既に八雲から小豆沢宛書簡の訳注を発表してあるが、それを補うものである。引き続いて姉妹編として訳注を世に問う予定である。第二は富山ヘルン文庫の調査である。従来目録のみを用いて推定のみにとどまっていた事項の多くが解明した。また目録記述を訂正補足することがらも明らかにした。これらは『へるん』誌次号に既に送ってあり、現在印刷中である。第三は金沢岸文庫所蔵の岸ノートである。東大講義の記録はアメリカでアースキンの編集になるが、しばしば本文作成の手順に疑問のあるところがあった。章sによっては岸ノートしかないものがあり、そのbヴぁ合いにはこの資料の価値は絶大である。短い時間の中でそうした個所を認定し、撮影した。これに基づきアースキン編の本文を訂正することができた。博多調査:九州旅行は主として博多市内の関係個所の調査をおこなった。万行寺にて古地図を複製を作成してもらい、それに基づいて、八雲が実際歩いたであろう、コースを追体験した。それにより福岡女学院教授の記述が「でたらめであることが判明した。成果の一部は雑誌に発表してある。今回の諸研究の中でも重要だったのは、岸ノートを通じて、八雲が日本英文学の多くの分野での開祖的存在であることを認識できたことである。この視点から従来の英学史は大きく補足されねばならない。また亡き別れになってアメリカに渡った資料との突合せを実現し、作業が更に立体的になることが望まれる。
|