本年度は、主として、バルカンの法文化に大きな影響を与えたオスマン・トルコ法について研究を行った。 いわゆる西欧が、その直接の先祖であるゲルマン民族が滅ぼした西ローマ帝国の文明の直接・間接の影響を受けて成立したのに似て、オスマン・トルコもビザンチン帝国を滅ぼしつつも、その文明を相当程度に引き継いでいるといわれる。ここでいう文明の中には法文化も当然含まれる。しかし、西欧法がローマ法の直接・間接の影響を受けて成立したのに比べ、オスマン・トルコ法は、イスラーム法をその基調とするために、ビザンチン法から受けた影響は、ローマ法が西欧法に対して有する影響ほどは大きくなかった。イスラーム法の中核はシャリーアであるが、オスマン帝国の場合には、これと並んで、カーヌーンと呼ばれる国家法(税法、土地法、行政法)も重要な役割を果たしていた。カーヌーンは、ギリシャ語の「カノン」を語源とするといわれるが、イスラーム以前のアラビア半島におけるアラブの慣習および中央ユーラシアのトルコ的・モンゴル的伝統をひくものであり、ビザンチン法とのつながりは明らかでない。 オスマン・トルコの法がビザンチン法と直接つながるものでないとしても、オスマン朝の支配を受けたバルカン諸国のキリスト教徒民衆にはミッレト制の下で幅広い自治権が認められ、それ以前の法生活が基本的にその後も続けられた。特に、征服の初期の頃には、それまでの各地域の伝統が尊重され、例えば、セルビアでは、14世紀に制定されたドゥシャン法典が適用されていた。征服が進んだ後でも、農村ではそういった状況が維持された。従って、トルコ征服以前のバルカン法がその後も生き続けることとなり、その意味で、中世バルカン法の骨格をなすビザンチン法の内容が近代に至るまで大きな役割を果たすこととなる。その研究が次年度の課題となる。
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