ビザンチン法は、固有の条件の下で発展し、ヨーロッパの他の封建法に比べ数多くの特徴を有する。この特徴の源泉となったのは、ビザンチンの国家法が継続性を維持したこと、および奴隷制社会から封建社会へ段階的に移行したため、商品貨幣経済と商品貨幣関係が発展したことである。ビザンチン法は、基本的には、ユスティアヌス帝の時代に花開いたローマ法である。しかし、それ以降、ビザンチン国家の崩壊までの間、商品貨幣関係が弱くなるにつれ、ローマ法は少しずつ変質し、ビザンチンの支配者が公布する新たな法律が補足的役割を果たすようになった。ビザンチン法の封建法化は個々の法制度の内容に現れ、例えば統一的有権は次第に封建的分割所有権に変質し、ローマ法の多くの債務法制度は後のビザンチン法では規定されなくなった。もっとも、ビザンチン法は中世全般を通じて統一的法制度であり続け、立法活動はきわめて盛んであった。教会法も大きな役割を果たしていた。封建制度を支えるビザンチン法の土地法や身分法、教会に関する規定はバルカンの法にも大きな影響を与えた。例えば、14世紀のドゥシャン法典においては、一等最初に教会に関する規定が数十条にわたり置かれている。ローマ法王と総大主教との永い衝突、第4次十字軍の野蛮な行為、ビザンチン経済に対するイタリア商人の容赦なき支配といった要因による正教会の反西欧主義の立場は、ビザンチン法が西欧法と異なる道を歩む原動力となっていった。
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