(1)1850年代から1940年代にいたる、ドイツ及びイギリスを中心とした文化史に重点を置いて研究を進めた。とくに、教養知識人層の展開と没落の具体的事情、かれらを生み出す基盤であった大学やギムナジウム、パブリック・スクールの展開史について、最近の重要文献を収集し読破した。また、この時代における中産階級の生活の変化などに関して、広く文献を渉猟した。 (2)同時代のドイツの法学に関して、とりわけ、イェーリング、ゲルバー、ヴィントシャイトに関して、かれらの法学をめぐる相互の交渉を、その書簡集を中心とした分析から明らかにしようとした。書簡集-とりわけイエーリングとゲルバーのそれは、600頁にも及ぶ内容豊なものである-の分析は、上記の時代の教養知識人層の生き様を明らかにすると共に、他の同時代人法学者との関わりについても、興味深い資料を提供するものであった。 (3)上記(2)との関連で、とりわけ重点を置いたのは、テオドール・モムゼンを、同じローマ法研究者であるイェーリングとの比較をも踏まえながら考察することであった。このテーマをめぐっては、モムゼンの伝記を渉猟し、かつかれの論文集等を分析した。シュレスヴィッヒ・ホルスタインの地で、同時代の政治や社会に深くかかわった、モムゼンとイェーリングの比較、とりわけそれがローマ研究にどう現われているかを対照して考察することは、当時の法学者の社会との関わりを明らかにする上で、重要なテーマであった。 (4)次年度は、本研究の最後の年に当たるので、以上の研究を踏まえてその成果を具体化していく方向で、さらに分析を進めていきた。
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