近世日本において人々は行政当局に対しさまざまな「訴え」「訴訟」をを行った。そのなかで、行政当局の措置に対し不満を感じ何らかの救済を求めて、行政当局に訴え出る「訴訟」を仮に行政「訴訟」と呼ぶとするならば、近世日本は行政当局の措置の是正を求める人々の行政「訴訟」が多発した行政「訴訟」の時代といっても言い過ぎではない。本研究はこの行政「訴訟」の法的構造を明らかにし、権利救済の近世的法システムを明らかにするのが本研究のねらいであった。 2ヶ年計画のうち第1年目は既刊の文献を中心に「訴訟」に関する史料を収集した。また東北大学付属図書館、国会図書館、国立公文書館、東京大学法制史資料室において「訴訟」関係分文書を複写した。 これまで収集しえた史料から、行政当局に救済を求める訴願としての「訴訟」の手続およびその問題状況がある程度明らかになった。 これまでの作業から、仮説的(あるいは試論的)なものとして提示しうると思われるものを示すと次の通りである。 (1) 近世日本においては行政当局の行為の取消を求める「訴え」あるいは権限を有する行政当局に一定の作為、不作為を求める「訴え」は、所定の手続にしたがって管轄の公的機関に提起することができた。 (2) こうした行政争訟が認められてはいたが、しかし、その手続は十分整備されていたわけではない。特に役人の不当な行為・措置を訴える「訴訟」についての手続は極めて不備であった。役人の違法な行為を取り締まる規範は存在したが、それは行政の内部規範であったりあるいは単なる宣言規範にとどまっている場合が多く、人々の「訴え」を保障するという性格は薄い。
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