第2年目である本年度においては、日本における旧民法における雇傭契約の趣旨、および明治29年(1896年)に成立した現行民法における立法過程を調査するとともに、さらに明治・大正期から第二次世界大戦後昭和22年(1947年)の労働基準法制定に至るまでの期間に、日本において醸成された雇傭(労働契約)についての観念を明らかにすることに専念した。 その手法として、この時期の「雇傭」における労働条件が、契約すなわち当事者の合意としてどのように組み込まれているかに焦点を当てることとし、特に賃金と労働時間の関係に注目した。より具体的には、明治初期から第二次世界大戦の戦時体制初期に至るまでの時期に、賃金形態および労働時間の管理形態がいかなるものであり、合意された労働時間を越えた労働時間にどのような支払がなされるかを、1920〜1949年当時の文献や統計資料をもとに調査研究した。なお、統計資料の収集に当たっては、労働省図書館および国立国会図書館の資料によるところが大きかった。 以上の結果、現在のところは仮説の域を出ないが、この時期における賃金・労働条件の決定システム(筆者はこれを「工場法モデル」と称している)が、たとえば1919(大正8)年9月14日の川崎造船所大争議による時間外割増賃金(歩増)の例に見られるように、これまで一般的に伝えられてきたよりも、より高度な合意や契約意識の生成をみることができるとの印象を受けている。 以上の成果の一端は、1999年日本労働法学会第97大会において、「労働時間規制の誕生」と題して報告する機会があった。
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