本研究の目的は、日本における男子普通選挙法制定後の1926-34年期に、文部省在外研究員などとしてドイツに滞在し、当時世界で最も民主的といわれたワイマール共和国が崩壊したヒットラー政権が成立する過程を目撃・体験して反戦反ナチ活動に加わった在独日本人反帝グループの活動を発掘し、彼らがその体験を戦中・戦後の日本でどのように生かそうとしたのか、また生かし得なかったのかの検討を通じて、ドイツのワイマール民主主義から日本の戦後民主主義への継承・断絶関係を探求するものである。 第一年度である平成10年度は、1926-28年期の蝋山政道・有澤廣巳・国崎定洞ら「在ベルリン社会科学研究会」および1929-34年期の「パリ・ガスプ・グループ」を含む「ベルリン反帝グループ」メンバー約50人の資料を収集し、履歴を確定して個人別データベースを作成、それをインターネット上で公開することができた。 より具体的には、「ベルリン反帝グループ」メンバーの一覧リストをもとに、それら関係者の一人一人の生涯について文献収集・調査を行い、パソコンで個人別データベースを作成し、それをインターネット・ホームページ「加藤哲郎の研究室」<http://www.ff.iij4u.or.jp./〜katote/Home.shtml>に公開して、情報提供をよびかけるシステムを構築した。開設以来のホームページへのアクセス数は3万6千に達し、その結果、英米・北欧の研究者のほかベルリン留学中の大学院生などからも情報が提供され、1926-34年当時の日本人留学生、ベルリン日本人会、竹久夢二のユダヤ人救出活動などについては、ドイツ語資料も収集できた。 特に大きな成果は、1925-38年期のベルリン大学付属外国語研究所所報のドイツ語コピーを入手できたことである。同研究所は、当時の留学生・文部省派遣研究員・派遣官吏・軍人・商社員ら訪独日本人がほとんど例外なく通ったドイツ語学校(今日のゲーテ・インスティーチュートに相当する)で、日本人学生はアメリカ人に次ぐ一大勢力であったため、その語学クラスで生まれた人脈・友人関係が在独日本人コミュニティにおける政治的分化・人的ネットワーク形成に大きな影響を及ぼしたことを確認できた。 また、1930年前後にベルリンの日本研究所に派遣された上野直昭(戦後の東京芸術大学初代学長)のご遺族から、上野氏が在独中に収集した1929-31年期の日本研究所機関誌『YAMATO』ほか膨大な一次資料の提供を受け、平成11年度予定の「学者・研究者グループ研究」、平成12年度予定の「芸術家・文化人・ジャーナリスト研究」の予備作業として、今後の研究の大きな足がかりを得ることができた。
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