本研究の主たる目的は、55年体制のもとて常に野党の地位にあった社会党に焦点を当て、野党が日本の政党政治においてどのような役割を果たしてきたのかを、政策面から明らかにすることである。そこで、衆議院公報に掲載された社会党の会議広告に注目し、それを丹念に見ていくことによって同党のなかでどのような活動がどのようなときに行われていたのかを調べることにした。作業は学生アルバイトを使って公報に表れた委員会や会議開催の通知をデータベース化することから始められた。入力すべきデータがあまりにも多く、対してパソコンのできる学生が少ないため、作業は遅れ気味であるが、それでもこれまでに興味深い知見が得られている。 まず、これは当然ともいえるが、社会党の委員会活動は、重要法案をめぐる与野党の対立が激化した国会の会期で著しく増加することが明確になった。特に、日米安保条約の改訂をめぐって与野党が文字通り激突したときには、社会党の中で安保関連の委員会や会合がほとんど連日開かれている。と同時に、院外大衆運動に関する会合も頻繁に開かれている。 しかし、興味深いことには、そのような時期においても、予算や文教といった、ある意味で日常的な政策に関する委員会や会合も、(この60年安保の時をやや例外として)ほぼ平常通り開かれていたのである。このことは、社会党が、政府与党とイデオロギー的に対立しながらも、なおかつ現実的な政策課題をかなりきちんとフォローしてきたことを物語っている。これは、イデオロギー的な反対政党という、同党についてのステレオタイプ的なイメージに修正を迫るもである。 もちろん、官僚機構によるバックアップを期待できない社会党の政策展開能力には自ずと厳しい限界がある。しかし、同党の日常的政策活動がおそらくは土台となって、社会党は有権者にアピールする政策、あるいは政策アイデアを多数開発した。それは、選挙における競争を通じて政府の政策に影響を与え、百貨店法や最低賃金法などとなって結実したことも明らかにできた。
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