本研究は、日露戦争をめぐる多様な意見の配置のなかで、20世紀初頭日本の平和思想を再検討してきた。前年度は、木下尚江らキリスト教社会主義者を中心にして見た平民社の運動を主に研究したが、今年度は、多様な日露戦争論の全体像を解明することをめざし、その背景として、20世紀初頭のさまざまな帝国主義論を検討してきた。19世紀末以来の欧米列強の帝国主義的なアジア進出を前にして、日本はどのような外交政策をとるべきかという議論が、その後の戦争論と平和思想の前提となっていたからである。 帝国主義は、第一次世界大戦以後もっぱら非難されるようになるが、20世紀初頭には肯定的に主張することが可能だった。しかし当時の日本の思想家たちは、帝国主義が侵略主義として道徳的に非難され、英米追随主義や白人迎合主義として侮蔑され、また欧米諸国の視線も意識せざるをえなかったので、躊躇なく帝国主義を主張するわけにはいかなかった。本研究は、20世紀初頭の日本で帝国主義を主張した徳富蘇峰、高山樗牛、浮田和民、山路愛山、海老名弾正らについて、その帝国主義論の諸相を明らかにした。その後の日露戦争は、露国の帝国主義に対する自衛の戦争として意識されたから、そこで日本の帝国主義が主張されることはなかった。それでも多くの日本人がこの戦争を正義、少なくとも不可避とみなすうえで、それまでの帝国主義論が国際社会の力の現実を強く意識させたことの意味は小さくなかった。 しかし20世紀初頭の日本では、そのような力の政策として帝国主義を是認あるいは容認する思想が浸透する一方で、帝国主義を否認する思想も静かに拡がっていた。トルストイの思想がかなり広く受け容れられたこと、その思想に依拠するキリスト教社会主義者たちが平民社に結集して非戦運動をしたことも、その表れだった。そのような平和思想を中心にして多様な日露戦争論の全体像を解明した研究成果を近く発表する予定である。
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