本年度は、前年度に引き続き復帰前後の時期を中心とした奄美群島の開発政治にかかわる文献・資料の収集と関係者からのヒアリングを行った。この作業のなかで、復帰問題の窓口となった南方連絡事務局関連の資料や、東京での復帰運動に関わった人々の記録を収集することができた。これらの資料やヒアリングと外交資料館所蔵の復帰関係資料を中心に分析する作業をすすめるなかで、すでに復帰以前の段階から復帰後の奄美群島の開発問題がクローズアップされており、開発問題の位置付けと復帰のタイミングや方法の問題が密接に関連していたこと、そして復帰前後の開発問題の扱いが復帰後の奄美の政治構造をも規定することになったことなどを、一定程度明らかにすることができた。さらに、奄美群島の開発問題は、復帰以前については、米国、琉球政府、日本政府、奄美現地の運動の四つのアクターが、復帰後については、日本政府と鹿児島県、県の出先機関である大島支庁の三つのアクターの動向が重要であることも把握することができた。これらの点については、1999年3月に韓国・釜山で開催された釜山政治学会での報告のなかで取り上げ、さらに、経済学者らとの共同研究の成果として出版された『ちょっとまて公共事業』に収録された論文のなかでも触れることとなった。 また、諸資料を基にした第二次世界大戦後の奄美群島の政治経済の動向を中心とした歴史年表づくりも進めており、入力済みの資料とともに、近々ホームページ上での公開を予定している。
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