本研究では、1950年代の合併の試みに着目した。というのは、それが戦後日本の経済成長と政治的民主主義の基盤になったと思われるからである。次の二つの問が考察された。第一はなぜ市町村合併は迅速な方法でなされ得たのか、第二は市町村合併により何が生じたのかである。 第一の問いに対しては、中央政府と県は、合併にへの抵抗が少ない市町村にまずアタックをかけるという戦略を採用したことが一定程度明らかにされた。政府は都市圏から自発的に始まった合併の連鎖反応を推進し、あるいは少なくともその連鎖を断たないように苦心して案を練り実施していったということができる。ポイントは、市町村が合併の行進に乗り遅れたくないという状況を作り出すことにあった。 第二の問いに対しては、行政効率に関する合併の肯定的影響については広く認められているが、民主主義にとってのその否定的な影響もまた広く認められていることが出発点である。本研究では、異なる三つの角度から合併と民主主義の関係を検討した。これら3組の証拠から、合併が市町村の民主化にかなり肯定的なインパクトを与えていたり、あるいは少なくともそれが「『民主主義にとって中立」であることが明らかにされた。合併につねに公的問題への住民の民主的統制を弱めると考えるのは誤りと言わなければならない。 最後に、最近の合併の例として篠山市を調査した。ここでは議員の発議によって合併論議が始まった。調査上の疑問は、合併によって身分を失う可能性のある議員がなぜ発議したかということであった。結論は、合併以前の4つの町の人口分布によっては、身分を失う可能性の低い議員が過半数をこえることがありうる、したがって合併に前向きになるということであった。これは、合併する市町村の組み合わせによって、議員の行動が大きく変わることを示している。
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